滋味如桃源

電子的高級洗練世相講談

病院というもの

 高齢の家族が帯状疱疹との診断を受け、一週間ほど入院した。私はこれまで自ら入院したことは一度もなく、病院にもなるべく行かない人生を送ってきたのだけれど、今回は見舞いを兼ねて何度か行かざるを得なくなった。
 入院したのは皮膚科病棟の四人部屋だったが、これが驚くほど静かなのである。これまでの少ない経験からいくと、内科などの団体部屋では入院患者同士がお互いの病状やら余計な個人情報についてまでべらべらしゃべっているのが普通で、見舞いに行くたびに鬱陶しい思いをすることがあったものだが、それが全然ないのだ。
 個々のベッドを丸く覆うようにカーテンレールが引かれ、入院患者同士が語り合う雰囲気が全くない。会話は基本的に病室の外にあるサロン的な場所でするらしい。
 ベッドで家族とぼそぼそやりとりをしていると、こういう小声の会話ほど他人に聞かれるものだなという気がした。そこに隣室のカーテンの向こうから身体をしきりに掻く規則的な音が響いてくる。クリーム色のカーテンの向こうに、タオルで洗い髪を拭くような格好で、頭部をかきむしる人のシルエットが浮かんでいた。
 この閉鎖的な空気も皮膚科ならではのことで、傷ついた姿を見せないための配慮だろうか、と帰りのタクシーで聞くと、いつも病院前で客を待ち構えているであろう運転手の男は訳知り顔で「いや、いまみんなそうなんですよ」と言った。
 つまり、団体部屋でもこれまでのように、ある意味あけっぴろげにおしゃべりをしたりすることはなくなり、患者たちは個別に仕切られたカーテンの中で入院生活を送るらしいのだ。
 
 あとはなんだろう。病院の正面入口の脇に会計と薬局があって、なぜかNHKだけが流れている大型テレビがあるのだが、そこに白衣のコンシェルジュ風の人物が高齢者たちの相手をしているのが普通になっていた。銀行でも病院でも、みんなこの調子だ。確かに高齢化社会には必要なものなのだろう。
 それから、鼻の穴に透明の管を挿し、小型の酸素ボンベを引きずった男性を何人か続けて見た。いわゆるたばこ病COPDの患者だろう。ちょうどそのタイミングで偶然多かっただけなのかも知れないが、いわゆるおじいさんもいれば、ちょっと太めの50代ぐらいの男もいる。喫煙歴の長い人ほど酸素を取り込む能力が減退し、酸素ボンベなしでは日常生活が送れなくなるという病気だが、若いうちにダンディズムを気取ってプカプカやっていると、いつかこういうことになるのだ。
 それから、赤ん坊を抱えた若い母親が、深刻な表情で目の周りを真っ赤にしていた。
 粘液のような涙はぽたぽた流れ落ちるというより、粘液のようにまぶたの周囲にとどまっているのであり、その原因は果たして家族の不幸なのか、あるいは抱える赤子の問題なのか、安物のテレビドラマで見る陳腐な感情表現では見ることのできない深刻な表情というのが印象に残った。
 病院って、そういうところなんだ。人々はまるで街角を歩くように、感情を表に出さずに広く清潔な廊下を歩いているけれど、そこには人間の生死が隠れている。

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